国際私法基礎B
生田 秀*
1.
(1)
(a) XはY1が「配偶者」に該当するか否かは甲国法の解釈によるべきであると主張しているが、Y1が「配偶者」かどうかはA・Y1間の婚姻が有効に成立したか否かに関わっており、これは相続に先立って前提となっている法律関係の問題である。したがって、Y1が配偶者か否か、つまり婚姻の有効性は相続の先決問題であり、先決問題についての国際私法の考え方を考慮に容れざるを得ない。
では、先決問題の解決はどのように処理されるべきだろうか。
仮に、先決問題である婚姻の有効性は本問題である相続の準拠法に委ねるべきという見解(本問題準拠法説)に立つなら、Xが主張するように、甲国相続法上の「配偶者」にY1が該当するかを決定するにあたって、甲国親族法の規定を参照すべきということになるだろう。
しかし、かかる見解には問題があり、少なくとも日本の裁判所においては支持されていないと考えられる。
まず、本問題準拠法説は、準拠法所属国において有効な法律関係はその国の実質法に従って有効な法律関係のみであるとする考え方に基づいているが、このような論拠は本件のように先決問題の法律関係が渉外的法律関係の場合には妥当しない。なぜならその場合には甲国国際私法の指定する準拠法による法律関係こそが甲国において有効な法律関係であり、必ずしも甲国親族法において有効な法律関係だけが甲国において有効な法律関係とは限らないのである。
また、本問題準拠法説を採用した場合、先決問題となりやすいような通則法の特定の条文が空文化してしまうこととなるうえ、今回のようなケースでは先に婚姻無効の確認請求をすると通則法24条1項が適用されて結論が変わってしまい、妥当でない。
むしろ、先決問題の解決は先決問題が含まれる単位法律関係について法廷地国際私法が定める準拠法によるべきであるとする見解(法廷地国際私法説)のほうが、私法上の問題を単位法律関係に切り分け、それぞれについて準拠法を決定するという国際私法の構造に鑑みて、自然な解釈であるといえる。
日本の最高裁も、「渉外的な法律関係において、ある一つの法律問題(本問題)を解決するためにまず決めなければならない不可欠の前提問題があり、その前提問題が国際私法上本問題とは別個の法律関係を構成している場合、その前提問題は、本問題の準拠法によるのでも、本問題の準拠法が所属する国の国際私法が指定する準拠法によるのでもなく、法廷地である我が国の国際私法により定まる準拠法によって解決すべきである。」として法廷地国際私法説を支持している(最判平成12年1月27日民集54巻1号1頁)。
したがって、通則法はあくまで相続問題の準拠法として甲国相続法を指定したに過ぎず、先決問題である婚姻の有効性の問題についてまで甲国法に委ねたと考えるべきではない。婚姻の有効性については通則法24条1項で指定される準拠法が適用されるべきである。
(b) 通則法24条1項は配分的適用主義を採用しており、各当事者についてその本国法が適用される。また、婚姻適齢は一般に未熟尚早な婚姻を防止し本人を保護する目的と考えられるため一面的要件と解することができる。
そうすると、Y1については日本法が適用され、Aについては甲国法が適用されるが、Y1については問題ないもののAについては甲国法上の婚姻適齢に達していないため無効ということになる。
このような場合、A・Y1間の婚姻はどのように扱われるのだろうか。婚姻をできるだけ保護する目的から夫婦の一方について有効な婚姻ならば有効な婚姻として扱うことも考えられるが、婚姻適齢が本人保護の目的を有することを重視するなら、一方にとって無効な婚姻は全体として無効とするべきである。
条文上も、28条が嫡出親子関係について特に「夫婦の一方の本国法で嫡出となるべきときは、嫡出である子とする」と規定していることとの比較と、婚姻は親子関係と比べて一般に要保護度が低いことから、「各当事者につき、その本国法による」という規定ぶりは、このような利益考量に立った上で、一方にとって無効な婚姻は他方にとって有効であったとしてもやはり婚姻自体無効とする趣旨であると解される。
したがって、通則法24条1項からは、A・Y1間の婚姻は無効となる。
ところで、日本民法742条は「婚姻は、次に掲げる場合に限り、無効とする」として婚姻の無効事由を制限しており、婚姻適齢に達していない婚姻も取消しうるに過ぎず(744条)、さらに取消しにも期間制限がある(745条)。これらの規定は強行法規と解されていることから、上記の結論が公序違反(通則法42条)とならないだろうか。
しかし、通則法42条にいう公序良俗と民法90条の公序良俗は異なる。国際的公序の基準は国内的公序の基準より厳格なものであり、そう解さなければほとんどの外国法規定が公序違反となり準拠法を適用する意味がなくなってしまう。
公序違反の判断基準は一般に「適用結果の異常性と内国関連性の相関関係によって決まる」とされている。たしかに、日本人の婚姻の有効性が問題となっており内国関連性が無いとは言えないが、婚姻適齢に達しない時点でなされた婚姻について夫婦が婚姻適齢に達した後でも無効と扱われることが、著しく正義に反するともいえないだろうし、かかるルールの適用により日本の私法的社会生活の秩序が現実に害されるとまでは考えにくい。さらに、本件において婚姻の有効性の問題は単なる先決問題に過ぎず、わが国の私法的社会生活秩序に対する影響は間接的なものである。
もちろん、Aが生存している場合ならまだしもA死亡後は、再び有効な婚姻を成立させるなど無効な状態を治癒する手段がないためY1にとって酷であるし、A死亡後に婚姻適齢に達していないことを理由に婚姻を無効としても、Aの保護になるわけではない。また、適用の効果がいかに間接的であったとしても、Y1にとってAの相続人となることは婚姻によって生ずる配偶者たる地位の重要な要素であり、影響が小さいとはいえない。Y1に準拠法の予測を期待することも難しかったであろう。
このような利益考量に立って、準拠法の適用が当事者に期待できないような苛酷をもたらす場合には、公序条項を利用して外国法を排斥すべきと考えることもできる。しかし、このような見解は一般原則を軽視するものであり、国際的私法交通の円滑と安全という国際私法の精神に反する。たしかに「円滑と安全」とは当事者のためのものであり、本件のような事例で外国法を適用することが当事者にとって不意打ちとなることもあるかもしれない。とはいっても、外国法(特に自己の本国法)の適用を期待する当事者もいるであろうし、公序が濫用されると判決の国際的調和も得られなくなる。公序条項はあくまで例外規定として、必要やむを得ない場合にのみ発動されるべきである。
公序違反とはいえなくても、甲国法が本来置くべき無効な婚姻の取扱いについての規定を置いていないと考えて、外国法上の規定の欠缺として条理により日本法を適用することはできないか。しかし、甲国法が婚姻の無効について厳格な取扱いをするためにこのような規定を置かなかったと解してもあながち不自然ではないから、かかる解釈は取り得ない。
以上より、本件においてA・Y1間の婚姻は無効と評価され、その結果が公序違反等とされる余地も極めて小さいと考えられる。
(c) 通則法24条3項但書によると、日本において婚姻が挙行され、当事者の一方が日本人である場合には、婚姻の方式が当事者の一方の本国法に適合する場合であっても有効とされず、原則に戻って婚姻挙行地法である日本法を準拠法として婚姻の形式的成立要件が判断される。
これを本件についてみると、在日大使館で挙行された婚姻も「日本において」挙行されたものであり、かつY1は日本人であるから、本条が適用されて日本法上方式を欠いた婚姻として無効となる。
このような結果は通則法上、公序良俗違反となるだろうか。
婚姻関係の公示は、重婚の防止や近親婚の防止、嫡出推定制度の運用、さらに出生子の国籍決定等に関して日本の公益と密接な関係を持ち、日本人の身分関係の変動はできるだけ速やかに届出られることが望ましい。したがって通則法24条但書のいわゆる日本人条項には正当な意義がある。
また、日本において婚姻の届出が婚姻の成立要件となることはいわば常識であり、Y1もそれを知っていただろうから、届出のない婚姻を無効とすることはY1にとって不意打ちとは言えず、むしろY1に落ち度があり、その適用結果が公序良俗違反となるとは考えられない。
たしかに、AとY1が甲国において婚姻をした場合、日本法上の届出がなくても甲国法上の婚姻の方式を具備していればその婚姻は有効に成立するのだから、甲国で婚姻を挙行した場合と、日本の甲国大使館で婚姻を挙行したために日本人条項が適用される場合とを比較すると、24条3項但書の規定が不合理と言えなくもない。
しかし、戸籍法41条の類推により、配偶者となるべき者の本国法により婚姻をした者にも届出の義務があることを考えると、負担には大差がなく著しく不合理な規定ではない。通則法(旧法例)の沿革を考慮すると、婚姻挙行地と婚姻の公示の密接な関連性に基づく公益上の必要性が第一に存在し、次いで絶対に挙行地法によらなければならないという不便を解消するために、平成元年改正で婚姻挙行地法と当事者の一方の本国法の選択的適用が認められるようになったということがわかる。かかる経緯に鑑みれば「当事者の一方の本国法」によることはあくまで法が許容した例外に過ぎない。そして、そのような「譲歩」に対するギリギリのラインとして日本人条項があるのだから、前述のような不合理が生じることは立法過程で考慮済みとも考えられる。
もちろん、このような論拠には、海外で外国の方式で婚姻した日本人にも戸籍への記載の必要があるのにこの点を等閑視している、報告的届出と創設的届出を同視しているといった批判も存在する。
けれども、立法論としてはともかく、厳にこうした規定が存在する以上、それが著しく不合理なものでない以上、裁判所は法を無視するわけにはいかない。したがって、本判決を甲国で執行する際に甲国国際民事訴訟法上どのような取り扱いがされるかは格別、日本の通則法上24条3項但書の適用結果が公序良俗違反となるとは考えられず、Y1側代理人の主張には理由がない。
(d) 死後認知についての甲国法の出訴制限は、通則法42条において公序違反となるか。
日本民法787条は、認知の訴えの出訴期限を死亡の日から3年としていることから、認知を認めない外国法の適用が公序違反とされることに準じて、1年という短すぎる出訴期限は公序違反であり、子の福祉の観点から出来る限り親子関係の成立を認めようとする通則法29条の趣旨に反するとの主張がまず考えられる。
しかし、787条が出訴期限を「死亡の日から3年」としているのに対して甲国法は「死亡を知ってから1年」としているのであって、父が長らく生死不明だった場合のように甲国法においては出訴期限にかからないが日本法では出訴期限にかかる場合もあるのであって、いちがいに甲国法の出訴期限が当事者に不利益であるとはいえない。
判例も、死後認知の出訴期限を1年とする韓国法の規定の適用について「わが国の公序良俗に反するとは認め難い」としている(最判昭和50年6月27日家月28巻4号83頁)。
ところで、反公序性判定の対象は、外国法の内容そのものではなく、個別的・具体的に外国法を適用した結果であるところ、一歩踏み込んで本件の事案に即して検討してみたい。
昭和50年判例の事案は、原告である子の母と死亡した父とが内縁関係にあり、いつでも認知の訴えを提起することが出来たにもかかわらず訴えを提起しないまま父が死亡し、死亡後に死後認知を求めた事案であった(渉外判例百選第二版「死後認知」田村精一解説)。
これに対して本件では、AとY1は少なくとも甲国法上は有効な婚姻関係にあり、甲国人Y2とY3は、自らがAの嫡出子であることを疑う余地は一切存在していなかった。おそらく本件訴訟においてはじめて日本の国際私法法上、母Y1がAの配偶者と評価されない可能性があることを知り、死後認知請求をする必要が生じたと思われるので、昭和50年判例とは事案が異なる。
もちろん、16歳と19歳の甲国人であるY2、Y3には甲国法上の死後認知請求の出訴期限を知っていることが期待できる。しかし外国国際私法についての認識を当事者に期待することは難しいと言わざるを得ないし、少なくとも甲国では法的にも嫡出子とされるだろうから、甲国裁判所でAに対して認知の訴えを起こしても却下されたであろう。
そもそも出訴期間制限の趣旨は、日本法にせよ甲国法にせよ、認知を認めるべき子の利益と法的身分関係の早期安定による利益との衡量にある。だとするなら、出訴期間内に認知の訴えを提起することが客観的にほとんど期待できないようなケースにおいては、Y2・Y3に全く落ち度はなく、死後認知請求についての出訴期間制限制度に内在する利益衡量の枠外にあり、かかる場合に形式的に出訴期間制限を適用することは、国際的公序に反するとも考えられる。
少なくとも日本の法秩序は787条について、死亡の日から3年以内に提訴しなかったことがやむをえず、仮に提訴したとしても目的を達することができなかったような事実関係においては、出訴期間の起算点をずらすという解釈を採用している(最判昭和57年3月19日民集36巻3号432頁)。
本件において公序条項を発動する余地があると考えた場合、(b)で述べた公序条項の発動をやむを得ない場合に限定すべきであるという考え方との整合性が問題となる。しかし、(b)では各国の法において相違のある婚姻の無効事由について、外国法を適用することが問題であったのに対して、本問では、各国の法において共通と思われる死後認知の出訴期間制限の趣旨自体が問題となっているのである(その年数ではない)。
たとえ日本の裁判所がA・Y1間の婚姻の無効を宣言することにいささかの躊躇を感じたとしても、甲国裁判所は何のためらいもなくA・Y1間の婚姻の無効を宣言するだろう。それが甲国法の素直な適用であり、日本法と甲国法の間にある埋められない思想の差あるいは政策判断の差であるからだ。けれども、客観的に認知の訴えを起こすことが出来ない場合に出訴期間の制限を課することが正義に反する場合があるということは、甲国の裁判所も日本の裁判所も首肯し得る内容である。したがって、このような場合には公序条項を発動しても国際的判決調和を害さず、いわゆるhome ward trendに陥ることもないから、国際私法の精神に反しないと考える。
では、公序条項の発動により甲国法の適用が排除された結果、どのような法が適用されるのかが問題となるが、ここで排除されるのは出訴期間制限の部分のみであるから、裁判所はそのまま実体審理に入り、Y2・Y3に対するAの死後認知が認められるか否かを甲国法に従って判断すればよい。
(2)
(a) 通則法41条は、25条または32条の場合を除いて「当事者の本国法によるべき場合において、その国の法に従えば日本法によるべきときは、日本法による」と規定している。
相続の準拠法は、通則法36条により被相続人の本国法であるから、被相続人Aの本国法である甲国法の国際私法が相続準拠法として日本法を指定している場合は、日本法への反致が成立する。
ここで、甲国国際私法が不動産以外の相続について被相続人の常居所地法を準拠法として指定していることから、Aの常居所地法が日本法であるか否かが問題となる。
そして、何をもって「常居所」とするかは、準拠法である甲国法上の解釈に委ねられる問題であるが、そもそも常居所とは法律上の概念である「住所」が各国によって異なるために導入された事実上の概念なのだから、あくまで事実上の概念として、本件の事実を基礎として判断することが許されると考えられる。
そして、その認定は単に居住期間だけではなく、居住目的や居住状況などを総合的に勘案して決すべきである。
本件においてAが現実に居住した期間についてみれば、乙国よりも日本のほうが長い。しかし、日本はAの母国ではないうえ、過去5年間は年間300日程度を乙国のB宅で生活してBおよびXと家庭生活を築きXを認知している。このような事実を考慮すると、少なくとも過去5年間はAの生活の本拠は乙国にあり、今後とも乙国に定住する意思を有していたと思われる。
したがって、A死亡時のXの常居所地は乙国であり、日本への反致は成立しない。よって、不動産以外の相続には甲国法が適用される。
ところで、このような部分的な反致は許されるのだろうか。相続統一主義の理念に反するとして反致を制限する見解もあるが、通則法41条を素直に読むなら、部分的であれ「その国の法に従えば日本法によるべきとき」は日本法への反致が成立するように思われ、41条の適用を制限するのは条文上無理がある。そうすると、債務の扱いについて問題が生じるが、これについては後述のように遺産分割の実体面と手続面を分けて考えることで対処し得る。
(b) 石碑の相続について、日本法への反致が成立するか否かを判断するにあたって、甲国国際私法上の「不動産」概念を如何に解すべきかが問題となる。
一般に法廷地国際私法において決定される準拠法にある法律問題が送致された以上、その準拠法の解釈は準拠法所属国の解釈に委ねられるべきであり、そう解さなければ判決の国際的調和が得られない。
そして、この原則は準拠法所属国国際私法の解釈に当たっても妥当すると解される。本件においてはたまたま乙国法という第三国の法が適用され、日本の国際私法が再致を認めないため、いずれにせよ結論が異なることになるが、第三国が関係しないような場合には、甲国国際私法の解釈を甲国法に委ねることで、判決の統一が図られる。
なお、通則法は相続統一主義を採用しているから、ある物が動産か不動産かという問題は先決問題にはなり得ない。
そうすると、本件の石碑は甲国国際私法の解釈上は動産に該当し、Aの常居所地法である乙国法が準拠法とされるから、日本法への反致は成立しない。その結果として結局石碑にも甲国法が適用される。
(c) まず、(a)・(b)を前提としてAの財産それぞれについて適用される法律を検討する。
(ア) 日本にある不動産のうち石碑の価値を控除した4億円分→日本法への反致が成立し日本法が適用される。
(イ) 日本にある1億円の石碑→(b)の結論より甲国法が適用される。
(ウ) 日本の証券会社にある3億円の投資信託→甲国国際私法上動産であるから反致が成立せず甲国法が適用される。
(エ) 乙国のB宅にある2億円の書画骨董→甲国国際私法上動産であるから反致が成立せず甲国法が適用される。
(オ) 日本の銀行からの借入金3億円→債務は甲国国際私法上動産であるから反致が成立せず甲国法が適用される。
次に、遺産分割の手続について、いかなる法が準拠法として指定されるかを検討する。
遺産分割の手続も同じ流れで処理されると考えてはどうか。ところが、そうすると動産・不動産分割主義が採用された場合に不当な結論が導かれる。たとえば本件においてAの財産が(ア)の不動産と(オ)の債務だけであった場合には、正の財産である不動産だけが日本法で処理され、負の財産である債務は甲国法で処理されることになるだろう。そうすると、甲国法上相続人であり日本法上相続人でないような者は、債務だけを相続してしまうことになる。甲国法に相続放棄の規定がない場合には特に正義に反する結論となってしまう。
では、「手続は法廷地法による」の原則により、法廷地法である日本法を一括して適用すべきか。しかし、相続財産について清算主義を採用するか否か等は、婚姻の方式のような純粋な手続とは異なり、実体法的な色彩を帯びている。かかる場合に安易に法廷地法を採用することは、国際私法の精神に反することとなる。よって、このような解釈は採用できない。
私は、相続財産の実体面と手続面を分けて考えて、本件のような場合には、相続人の範囲や遺産の配分割合は部分的に日本法への反致が成立するが、遺産分割の手続は全体として甲国法に委ねられるべきであると考える。相続財産は資産と負債を含む一体の財団となっており、複数の手続に委ねることは法律関係を複雑にし妥当でないからである。
私見の考え方を採用すると、遺産分割手続と各相続額は以下のようになる。
まず、全ての資産を現金化すると、日本法が適用される資産は4億円、甲国法が適用される資産は6億円、負債が3億円となる。
次に、甲国法上の遺産分割手続の規定に従い、相続人への財産移転の前に相続財産管理が行われるから、分配原資は7億円となる。このうち日本法は2億8000万円分について適用され、甲国法は4億2000万円分について適用される。
Y1 2億8000万×50%+4億2000万×25%=2億4500万
Y2・Y3 2億8000万×20%+4億2000万×25%=1億6100万
X 2億8000万×10%+4億2000万×25%=1億3300万
以上より、Y1は2億4500万円、Y2・Y3はそれぞれ1億6100万円、Xは1億3300万円が相続額となる。
2.国際私法は一般の法律と異なり、各国実質法を見ずに価値中立的に適用すべき法を判断する、いわばメタ・ルールに過ぎない。にも関わらず、なぜ法解釈論として国際私法が問題となるのか。その場面は次の三つに分類できると思われる。
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わが国国際私法自体の解釈・適用方法が問題となる場面
通則法の規定の意味の確定と、具体的な事例への当てはめの場面であり、法律関係の性質決定など、単位法律関係や連結点が問題となる。いちど国際私法上のルールが確定すれば、それにそって準拠法を適用すればよいのであるから、準拠法決定後はわが国国際私法の解釈が問題となることはない。
A 国際私法の目的の実現よりも内国法秩序を優先させるべきかが問題となる場面
問題となっている事項が法廷地の公益と密接な関係がある場合、国際私法の目的としてあげられている内外人平等原則、国際的判決調和および国際的私法交通の安全といった価値よりも法廷地の内国法秩序を優先することが考えられる。このとき公序規定を適用すべきか否かは、準拠実質法をいちど適用した後に判断する事柄であるから、いわゆる「暗闇への跳躍」の例外となる。
B 結果の妥当性確保のために、わが国国際私法の解釈・適用方法が問題となる場面
裁判官は、法律のルールを適用した結果が正義の観念に反する場合には、法解釈技術を利用して結果の妥当性を確保する術を知っている。しかし、外国法の場合にはこのような技術によって結果の妥当性を確保することが難しい。そこから、裁判官がメタ・ルールである国際私法のほうに注目して、送致範囲の解釈や公序則を利用して結果の妥当性を図るような操作が現実には予想できる。
しかし、「暗闇への跳躍」の例外として許されるのはAのみで、Bのような場面で国際私法の解釈を問題とするのは、実質法を見てから国際私法の解釈を云々するもので許されないとされている。
実質法の適用にあたって裁判官が法の解釈をこねくり回すのは、個別的な紛争からふりかえって客観的な「法」を想起する行為であり、そのような熟慮の蓄積が法の進化に寄与する。しかし、国際私法自体の解釈に当たって裁判官が意識すべきなのは上述の国際私法の目的のみであって、準拠法の適用結果からふりかえって準拠法選択のルールを云々しても、それは国際私法の目的とは無関係だから、国際私法の進化をもたらすものではなく、場当たり的解釈であって法を曲げているだけということになる。
とはいうものの、国際私法の目的が上述のような国際的私法交通の安全のみに限られるかは怪しいようにも思われる。実際に通則法も「私法の公法化」の議論の影響を受けて消費者保護、労働者保護の規定を設けているし、関係者間の利益の均衡や、具体的妥当性と予測可能性の均衡なども、国際私法を解釈するときの考慮要素となり得る。
そのように考えると、準拠法適用の結果が妥当でないようなとき、たとえば当事者間の交渉能力に不均衡がある場合に、消費者契約でも労働契約でもないが11条・12条を類推してしまうというような解釈も、国際的な判決の調和や予測可能性は害するかもしれないが、当事者間の利益の均衡を図り具体的妥当性を重んずる観点からの国際私法の解釈としてあり得るのではないだろうか。伝統的な「目的」はどこまで相対化され得るものなのか、興味深く感じている。
(生田 秀)
* 学生証番号は道垣内が削除。末尾も同じ。