国際民事訴訟法その2

47070173 中野玲也

1.問題の所在

 本件において、Bは、Aに対するβ債権をもって、Aが訴訟で請求しているα債権を相殺するという抗弁を出している。しかし、β債権を生ぜしめた契約Pには、乙国裁判所を専属管轄とする合意がある。そこで、β債権については、乙国裁判所でしか争うことができず、日本の裁判所でβ債権について審理することができないのではないか。もし、日本の裁判所で審理できないとすると、Bの相殺の抗弁は認められないことになるため問題となる。

 問題を一般化すると、専属的合意管轄がなされている債権を自働債権とする相殺を、合意裁判所以外において主張することができるかということである。

 この問題を考える前提として、まず、仲裁合意がなされている場合の議論と対比する。次に、そもそも、相殺について審理するためには、反対債権についても国際裁判管轄を要するかということを検討する。そして、それらの議論をふまえて、専属的管轄合意がなされている場合について考える。その上で、最後に、本件事案の処理方法について述べたい。

 

2.仲裁合意がなされている場合の相殺

 相殺の自働債権について仲裁合意がなされている場合も、専属的合意管轄がなされている場合と同様の問題が生じる。すなわち、仲裁合意は訴訟手続を排斥する効果(妨訴抗弁性)を有する(仲裁法14条)が、相殺の抗弁が認められると、仲裁合意の妨訴抗弁性を破壊し、原告の有する仲裁付託の利益を一方的に奪うことになってしまう。そこで、仲裁合意がなされている債権を自働債権として、訴訟上相殺をすることはできないと解されているのである。[1]

 しかし、この仲裁合意がなされている場合の議論を、専属的合意管轄がなされている場合に用いることはできない。それは以下のような理由による。

仲裁合意は、裁判所による司法的な判断を受けずに、当事者間の紛争を解決することを意図してなされる。そのため、相殺の抗弁によって、訴訟でこの債権が争われることになると、当事者の期待が害されることになる。つまり、当事者の望まない紛争解決方法によって処理されることになってしまうのである。

これに対し、専属的合意管轄の場合は、訴訟による紛争解決がなされることについては当事者間の一致がある。したがって、相殺の抗弁が認められたとしても、紛争解決方法について当事者の期待を害することはない。この場合に害される当事者の期待は、特定の裁判所で審理を受けるという期待である。

このように仲裁の場合と専属的合意管轄の場合では、保護されるべき当事者の期待の内容が異なるため、両者を分けて議論する必要がある。したがって、仲裁合意における議論は専属的合意管轄の場合に妥当しないのである。

 

3.反対債権の国際裁判管轄の必要性

 専属的合意管轄がなされている場合の相殺の抗弁の可否を考えるにあたって、そもそも相殺の抗弁をする場合に、反対債権について本案裁判所に国際裁判管轄が認められる必要があるのかということについて考えなければならない。そこで、以下、国際裁判管轄を必要とする説と不要とする説の論拠を示し、どちらの見解が妥当であるかを検討したい。

(1) 管轄不要説

 この見解は、相殺を主張する場合に、反対債権について国際裁判管轄が認められる必要が無いとする。なぜなら、国際裁判管轄はあくまでも、訴訟物との関係においてのみ問題となるのであり、相殺の抗弁が提出されても、反対債権については訴訟係属を生じず、訴訟物とはならないからである。[2]国内民事訴訟法の議論においても、相殺の抗弁は実体判決を申し出るものではないため、訴訟要件・反訴要件の具備は不要と解されている。[3]

 裁判例では、大阪地裁昭和61326日中間判決が、傍論ではあるが、「当裁判所が本訴請求につき裁判管轄を有する以上、被告が抗弁として主張する相殺の適否、本件自働債権の存否についてもまた当裁判所で審理すべきことになる。」と判示しており、反対債権の国際裁判管轄につき不要説をとっているように読める。

(2) 管轄必要説

 これに対して、相殺の抗弁が審理されるためには、反対債権について国際裁判管轄が認められる必要があるという見解がある。この見解の論拠は以下のようなものである。

相殺の抗弁に関する本案判決は、訴求債権のみならず反対債権に関する判断についても既判力を生じる(民訴法1142項)。つまり、反対債権を、訴求債権として争った場合と同様の効果が発生するのである。また、反対債権について証拠調べなどがなされるため、訴訟手続も、訴求債権として争われた場合と大きく異なることはない。このように、反対債権について、実質的に訴訟物と同様な扱いがなされるにもかかわらず、国際裁判管轄を必要としないのは、当事者の公平、裁判の公正・迅速という観点から妥当でないというのである。

ドイツの裁判所は、この見解に立っていると解されている。[4]

(3) 検討

 では、いずれの見解が妥当か。私は、以下のような理由から管轄必要説が妥当であると考える。

@) 相殺の抗弁の性質

上述のように、管轄不要説は、相殺の抗弁が、あくまでも抗弁であるという性質を重視し、反対債権は、訴訟物とはならないから国際裁判管轄が認められる必要がないとする。しかし、この論拠は形式的にすぎる。

管轄必要説が述べるように、相殺の抗弁については既判力が生じるから、相殺が認められれば、当事者は別訴で反対債権の存否を争うことができなくなるし、訴訟上も訴求債権についてと同様の手続がなされる。したがって、実質的にみれば反対債権が、訴訟物として争われている場合と大きく異なることはない。

最高裁も、相殺の抗弁が重複起訴の禁止にあたるのではないかが争われた事案において、既に訴訟係属している債権について、別訴でこれを自働債権として相殺の抗弁を提出した場合、民訴法142条の趣旨が類推され、相殺の抗弁は認められないとしており[5]、相殺の抗弁が、通常の抗弁とは異なる性質を有することを認めている。

このように、相殺の抗弁が、通常の抗弁とは異なり、訴えの提起に近い性質を有する以上、それが抗弁であることをもって、国際裁判管轄が認められる必要が無いとするのは妥当でない。

A) 国際裁判管轄不存在の場合に相殺の抗弁を認める不都合

反対債権に国際裁判管轄が認められない場合に、相殺の抗弁を認めることは、当事者の利益を害することになる。

国際裁判管轄が認められない場合とは、当事者の公平、裁判の適正、迅速という観点から、その裁判所で審理することが妥当でない場合であることを意味する。[6]審理をすることが適切でないにもかかわらず、その裁判所で、反対債権の存否を審理すると、たとえば証拠を提出するのが困難な地で債権の存否を争わなければならなくなるなどの事態が生じることになる。つまり、当事者は反対債権の存否について十分に攻撃防御を尽くすことができないことになりうるのである。これは手続保障の観点から妥当でなく、当事者の公平、裁判の適正に反する。

したがって、当事者の公平、裁判の適正、迅速という要請をみたすためにも、反対債権について国際裁判管轄が認められる必要があると考えられる。

B) 結論

以上のように、相殺の抗弁は訴えの提起に近い性質を有すること、国際裁判管轄が認められない場合に、相殺の抗弁を認めると当事者の公平や裁判の適正を害することから、管轄必要説が妥当である。

 

4.専属的合意管轄がなされている場合

@) 原則

 管轄必要説を前提に、反対債権について、本案裁判所と異なる裁判所に専属的管轄を認める合意がなされている場合について検討する。

この場合は、まず、最高裁昭和501128日判決(チサダネ号事件)に基づいて、専属的管轄合意が有効になされているかを確認する必要がある。そして、この合意が有効である場合、本案裁判所には管轄が存しないことになる。したがって、管轄必要説に立てば、反対債権が、他の裁判所の専属的管轄に服するという合意がなされている場合は、原則として相殺の抗弁は認められない。

A) 例外

もっとも、相殺が担保的機能、簡易決済機能を有しており、特に継続的取引関係にある当事者は相殺がなされることについて合理的な期待を有していることを考えると、一切例外を認めないとするのは妥当ではない。

そこで、専属的管轄合意を締結した経緯や理由から当事者の合理的意思を解釈して、相殺の抗弁として債権が争われる場合には、専属的管轄合意をしない趣旨であるといえるときには、例外的に相殺の抗弁が認められる余地があると解する。

たとえば、継続的取引関係にある、日本と中国の企業が、応訴の負担を平等にするという理由で、地理的に中間にある韓国の裁判所に、X契約の専属的管轄を認める合意をしたような場合である。この場合、当事者は、韓国以外の裁判所で、X契約から生じる債権を自働債権として相殺の抗弁を主張することを禁止していないと考えられる。なぜなら、合意は、あくまでも応訴の負担を平等にするためになされているのであり、既にどこかの裁判所に訴訟が継続している場合には、応訴の負担を考慮する必要が無いからである。むしろ、相殺を認める方が、相殺の担保的機能、簡易決済機能への当事者の期待を保護することになるし、紛争の一回的解決という観点からも望ましい。

一方、証拠が特定の地域に偏在していることを理由に専属的管轄合意をしているような場合には、合意裁判所以外の裁判所で債権の存否を争うと、十分な審理ができなくなってしまうおそれがある。そのため、このような場合には、当事者は合意で相殺の抗弁をも禁止する趣旨であると解するのが妥当であり、原則どおり相殺の抗弁は認められないことになる。

なお、管轄必要性に立つ以上、仮に、専属的管轄合意から相殺の抗弁が除かれているとしても、反対債権について、義務履行地管轄など合意管轄以外の国際裁判管轄が存しない限り、相殺の抗弁は認められない。

B) 結論

以上のように、専属的管轄合意が有効である場合、原則として、合意裁判所以外で相殺の抗弁を主張することは許されないが、当事者が、相殺の実体法上の機能に対する合理的期待を有している場合には、例外を検討するべきである。そして、専属的管轄合意の成立経緯・理由から、当事者の合理的意思を解釈し、相殺の抗弁が合意に含まれないといえ、かつ、反対債権の国際裁判管轄がある場合には、相殺の抗弁が認められることになると解する。[7][8]

5.本件事案の検討

 以上を前提に本件事案について考える。まず、本件では、契約Pには管轄合意条項があり、それによれば乙国裁判所が専属的に指定されている。当該合意が、最高裁昭和501128日判決に照らして有効であるか否かは、本件事情から定かでないが、仮に有効であるとすると、β債権について、日本に国際裁判管轄が存しないことになる。

 したがって、管轄必要説からは、原則として、Bの相殺の抗弁は認められない。

 しかし、A社とB社の間では、様々な取引関係が行われていることから、両者は、継続的取引関係にあり、相殺の担保的機能及び簡易決済機能に対する合理的な期待を有していると考えられる。すなわち、両者は、相手方が無資力になっても、相殺によって、事実上優先弁済を受けることができる地位にあると考え、また、相殺によって決済がなされるため、自己の抱える債務を弁済するコストを負わないと期待しているといえる。

 そこで、契約Pにある管轄合意条項が、その成立過程・理由からして、当該契約から生じる債権を、相殺の抗弁における反対債権として争う場合にまで及ばないと解するのが当事者の合理的意思解釈として妥当といえるようなときには、相殺の抗弁を認め、実体法上認められた相殺の機能への当事者の期待を保護するべきである。

 具体的には、A社・B社が応訴の負担を理由に合意をした場合などには、相殺の抗弁は認められる。この場合、裁判所としては、α債権及びβ債権の両方について審理することになる。そして、両債権の存在が認められた場合には、「BAに対して2000万円支払え。」という主文の判決をする。

 そうではなく、相殺の抗弁として主張することを合意から除外する意思が認められないときは、原則どおり相殺の抗弁は認められない。具体的には、乙国にP契約に関する証拠が偏在しているなどの理由で、専属的管轄合意をした場合などである。この場合、裁判所は、Bの主張を却下し、α債権についてのみ審理・判断することになる。

 

以上

 



[1] 大橋=山口=五十嵐「国際民事訴訟法に関する実務上の諸問題」澤木=青山『国際民事訴訟法の理論』 p539

[2] 酒井一「相殺の抗弁と国際裁判管轄」判例タイムズ936p66

[3] 中野貞一郎「相殺の抗弁」『訴訟関係と訴訟行為』p133

[4] 貝瀬幸雄「国際化社会の民事訴訟法」p274

[5] 最高裁平成31217日判決

[6] 最高裁平成91111日第三小法廷判決参照

[7] 原則として、相殺の抗弁が認められない以上、専属的管轄合意に相殺の抗弁が含まれないことは、相殺を主張する被告側が主張・立証責任を負うことになると考える。

[8] これに対し、管轄不要説に立った場合は、原則として相殺の抗弁が認められることになる。もっとも、特定の裁判所以外で相殺の抗弁を主張することを禁止する契約を締結することは可能であり、これが締結されている場合には、相殺の抗弁は認められないことになる。したがって、専属的管轄合意に、このような相殺禁止契約が含まれていると考えられるか、また、相殺禁止契約が専属的合意管轄と同様、書面でなされていることを要するかといった点が論点になると考えられる。