WLS国際私法U
47122008 井形文佳
<設問(1)略>
設問(2)
第1 差止めと損害賠償請求を一体的に考えることについて
本件でBは、差止め及び既に生じた損害の賠償請求を行っている。そこで、差止めが認められるかという問題と損害賠償請求が認められるかという問題について、これらを一体のものとして性質決定すべきであるのかが問題となる。
これについて、知的財産権侵害の事例ではあるが、カードリーダー事件[1]が、特許権侵害について、@差止めおよびA破棄請求と、B損害賠償請求を区別して準拠法を決定している。しかし、この判決の判断方法について以下のような批判がなされている。すなわち、同じ特許権侵害に対する救済方法である@AとBの実質法上の区別[2]に着目して国際私法上も両者を別個の単位法律関係に振り分けることには疑問があり、@AとBの準拠法が異なり双方の法的評価が相違しうるとすると困難な適用関係が生じる。よって、解釈論として@ABを合わせて一体的に不法行為として性質決定すべきであるとされる[3]。
本件においても、Bの求める差止めと損害賠償請求とを別個の単位法律関係に振り分けると、同一の守秘義務及び競業避止義務違反に基づく請求であるのに差止めと損害賠償請求とで別個の準拠法を適用することとなる可能性がある。しかし、法的判断の整合性を求める観点からは、同一の事実から導かれる効果は同一の準拠法によって統一的に判断されるべきである。そこで本件では、差止めと損害賠償請求について、一体のものとして準拠法の決定を行うものとする。
第2 本件でBは、退社契約違反を退社契約の債務不履行と捉えて、債務不履行に基づく請求を行うことができる。また、Bは、守秘義務及び競業避止義務違反それ自体を不法行為であると捉えて、不法行為に基づく請求を行うこともできる。そこで、本件でBは債務不履行及び不法行為に基づく2つの請求を立てるものと考えるべきである。
1 債務不履行に基づく差止め及び既に生じた損害の賠償請求の準拠法について
本件の債務不履行責任の問題は、債務不履行を基礎付ける債務を発生させる、退社契約の効力の問題であると捉える。そこで、本件退社契約の性質が問題となりうる。なぜなら、本件退社契約が通常の契約であるならばその効力の問題は通則法7条以下でその準拠法決定がなされるべきであるが、本件退社契約が労働契約であれば通則法20条を適用すべきであるからである。
たしかに、本件退社契約で守秘義務と競業避止義務が定められ、これにAが違反すると損害賠償請求が発生すること等からは、Aが退社してもなお本件退社契約によってB社に従属しかつ指示に拘束されるという労働契約類似の関係を認められる。また、退社契約は労働契約がなければ存在しえなかったものであるから、退社契約は労働契約と密接関連性があるものであるともいえる。
しかし、本件退社契約は、あくまでも労働契約とは別個独立した契約であると捉えるのが相当である。なぜなら、労働契約中であれば通則法12条の適用によって労働者が最も救済を求めやすい地においてその地の法の保護を受けることができるようになるものの、労働関係がなくなった後においては、労務提供地法の適用はもはや労働者の利益となるとはいえず、労働者の利益を保護しようとした通則法12条の趣旨とも合致しないからである。むしろ、労働契約を終了した当事者間においては、労使関係という主従・支配的関係を脱して対等な当事者同士で契約を締結するのが当事者の意思であるとみて、当事者自治を原則とする通則法7条以下の適用によるべきである。<上記の記述とは異なり、退社契約を通則法12条の「労働契約」に該当すると性質決定する学説があり、これに従って、このように性質決定した上で、労務供給地という連結点に関して、すでに労務をしていないことから苦労するという答案が相当数ありました。性質決定において重要な参考となるのは、そこで採用されている連結政策です。労務供給地が連結点であることから、退社契約は「労働契約」に該当しないと解釈するのが筋であると思います。>
よって、本件退社契約を通常の契約であるとみて、本件では当該契約違反を債務不履行として考える。契約違反に基づく差止め及び損害賠償請求は、契約の効力の問題である。そこで、通則法7条以下により、その準拠法を決する。
(1) 通則法7条の適用について
通則法7条は、当事者自治を原則とするものである。この当事者による準拠法選択は当然明示の選択が想定されているものであるといえるが、黙示の準拠法選択も認められる。なぜなら、黙示であったとしても当事者の現実的な意思であることが明確であれば、当事者自治の実現のため、その形式にかかわらず当事者の選択として認めるべきだからである。
それでは本件において、A及びB社による準拠法の選択は認められるか。本件では、退社契約の準拠法について、特に交渉段階での議論はなく、明文の規定も存在しない。契約書は英文であるが、紛争の管轄は東京地方裁判所の専属管轄となっており、特に準拠法を選択したという積極的な事情も消極的な事情も認められない。そこで、本件では当事者による有効な準拠法選択がないものとして、客観的な連結点によって準拠法を選定する。
(2) 通則法8条の適用について
ア 通則法8条は、客観的な連結点の選定について定めた規定である。通則法8条1項にいう「最も密接な関係がある地の法」を認定するためには、当事者間の意思的要素および客観的事情を含む、すべての要素を考慮すべきである。
ところで、通則法8条2項は「特徴的な給付を当事者の一方のみが行うものであるとき」には、その給付を行う当事者の常居所地法を当該法律行為に最も密接な関係がある地の法と推定する。そこで、本件では「特徴的な給付を当事者の一方のみが行うものであるとき」にあたるかが問題となる。特徴的給付とは、当該契約を特徴づける給付をいう。
本件退社契約は、「@3年目のボーナスについては、その金額確定手続により定まる金額をBはAに速やかに支払う」という形で、BがAに金銭を支払うものとなっているが、これは退社契約のA・B条項においてAが負った守秘義務及び競業避止義務の対価として支払われるものではない。むしろ、@条項で支払われる金銭は、本件退社契約とは別個の契約である雇用契約の(b)・(c)条項に基づいて支払われるものである。さらに退社契約@条項ではBがAに支払う金銭の額が具体的に示されているものではなく、@条項中にいう金額確定手続も雇用契約の(c)条項においてすでに決定されているものである。ただ、本件でAが負っているのは給付ではなく、不作為である。しかし、通則法8条2項が特徴的給付の理論を採っているのは、契約関係の重心がどちらの当事者にあるのかを決する便宜[4]にもあるので、このことから特徴的給付には給付のみならず不作為も含めて良いと考える。よって、本件退社契約においては、Aが一方的に守秘義務及び競業避止義務を負っていることから、本件では特徴的給付たる守秘義務及び競業避止義務を当事者の一方であるAのみが行うときにあたるといえる。つまり、本件では、特徴的給付の理論が当てはまる。
イ そうすると、通則法8条2項の推定により、本件法律関係の最密接関係地はAの常居所地法となり、これが本件退社契約の効力についての準拠法ということになる。ちなみに通則法8条2項にいう、ある事業が当該法律行為と「関係する」とは、当該法律行為の締結が当該事業所の業務の枠内で行われた場合、あるいは契約上、契約の履行がその責任でなされる場合を指す[5]。よって本件では通則法8条2項の括弧書きは問題とならない。
ウ そこで、本件でのAの常居所地がいずれの地にあるかが問題となる。本件でAは日本に家族とともに生活の本拠地を置いているが、退社後は乙国に居住している。さらにAは乙国においてC社を設立しているので、Aの常居所地は乙国にあるようにも思われる。しかし、Aのように家族との関連における生活の中心地と職業上の生活の中心地とが異なる場合、「人が特定の地において社会の構成員のひとりとして生活している」とみられるかを探る常居所の考え方からは、家族との関連における生活の中心地が優先してその者の常居所であるというべきである[6]。このことからは、Aが家族とともに生活の本拠地を置いている日本に、Aの常居所があるといえる。
以上より、債務不履行に基づく差止め及び既に生じた損害の賠償請求の準拠法は日本法である。
2. 不法行為に基づく差止め及び既に生じた損害の賠償請求の準拠法について
(1)本件における加害行為結果発生地はどこか。結果発生地とは、現実に財産権や人の身体・健康などの法益侵害の結果が発生し、不法行為の要件が充足された場所を指す[7]。つまり、結果発生地とは侵害があった時点において直接に法益が所在していた地である[8]。
これを本件についてみるに、本件ではAがC社を設立し活動することによって、B社の営業上の秘密や顧客の保持などの営業上の利益が侵害されていると考えられる。しかし、営業上の利益はC社の活動それ自体で直ちに侵害されるものではなく、B社の会社計算上利益の損失としてあらわれてはじめて法益が侵害されたといえるものである。そこで、現実にB社の営業上の利益が侵害されるという結果が発生するのは、B社の活動の中心地である本拠地においてであると考えられる。B社は日本法人であり、日本に研究所を有しており、B社に関わる紛争は本件ではいずれも東京地方裁判所の管轄となっていることから、B社の活動の中心地は日本にあるといえる。よって、本件における不法行為としての守秘義務及び競業避止義務違反の加害行為結果発生地はB社の活動の中心地である本拠地、すなわち日本である。以上より、本件不法行為についての準拠法は日本である。
3. 通則法20条特則が適用されるか
本件はAとB社間で締結された退社契約という「当事者間の契約」に基づく守秘及び競業避止「義務」に違反して、AがC社というB社と競合しうる会社を設立するという「不法行為」が行われたものである。そこで、本件は通則法20条の「当事者間の契約に基づく義務に違反して不法行為が行われた」場合に当たるといえそうである。
しかし、通則法20条の解釈について、通則法20条はあくまでも通則法17条ないし19条の例外規定であることに鑑みて、諸般の事情に照らして、明白かつ実質的により密接な関係をもつ地があるといえる場合にのみ20条を適用すべきである[9]。これを本件についてみると、上記検討の結果のとおり、B社の債務不履行にかかる請求の準拠法は日本法、不法行為の準拠法も日本法とされる。
そこで本件では、通則法20条の付従的な連結を用いて法律関係の総体を統一的に1つの法秩序に服させ、まとありのある法律関係を相異なる法秩序に送致させないという機能を[10]発動させる必要もないため、通則法20条を適用しなくても良い場面であるといえる。
4.結論
以上より、本件ではB社のAに対する退社契約の定める守秘義務及び競業避止義務違反に基づく、当該違反行為の差止め及び既に生じた損害の賠償請求の準拠法は日本法である。
設問(3)
第1. 本件単位法律関係について
本件でBは、D社が、AがB社に在職していた当時からAと接触し、物質αの開発に係る情報をD社の日本駐在員を通じて継続的に取得していたと主張している。D社がBの営業秘密を不正に取得した行為は、直接に市場における競争秩序と結びついている訳ではなく、当事者間の相互関係がその中心となっている個別型不正競争ともいえる不正競争の類型の一つであるといえ[11]、ノウハウ侵害[12]ともいえる。
不正競争については、これを不法行為の問題とする説のほかに、条理から市場地法の適用を認める説、市場型不正競争と個別型不正競争とで分けて考える説等がある[13]。しかし、通則法の規定している単位法律関係は、原則として、あらゆる私法上の問題について準拠法を定めるべく、私法上の全法律関係を隙間なく切り分けているはずである。そこで、ある問題が隣り合う単位法律関係のいずれの問題であるかとういことが問題となることはあっても、単位法律関係に隙間があるということは考えられない。そうすると、ノウハウ侵害としての不正競争も、条理により市場地法を準拠法とするべきではなく、単位法律関係として当然に不法行為に含まれるものであると考えるべきである。よって、以下では本件の問題を不法行為の問題であると位置づけて検討を行う。
第2. 通則法17条の適用について
1 通則法17条にいう「加害行為の結果が発生した地」とは、加害行為による直接の法益侵害の結果が発生した地の法を意味する。本件では、Dが物質βを甲国工場で生産し、これを添加したクッキー、アイスクリーム等を甲国・乙国・日本で発売し、B社が甲国・乙国・日本の市場を奪われたという事情がある。そこで、本件において不法行為がいずれの地で発生し、どのような法益をいくつ侵害したのかが問題となる。
2 ノウハウ取得行為自体を不法行為であると捉える考え方について
(1) 不法行為がいずれの地で発生し、どのような法益をいくつ侵害したのかという問題は、通則法17条にいう結果発生地が加害行為による直接の法益侵害の結果が発生した地を意味することから、後続損害は考慮されない[14]、という点との関係も問題となる。ノウハウ侵害という抽象的には1つの行為によって、特定の直接的な法益侵害があったとみれば、ノウハウ侵害の直接の結果として捉えた行為に後続する「後続損害」は、単独で不法行為となることなく、ノウハウ侵害の結果の一つとしてしか考慮されない。他方、それぞれ異なる法益侵害があったとみると、本件生産、販売と、市場を奪われたことについては各々独立した不法行為の問題として捉える余地がでてくる。
(2) 本件でのノウハウ侵害の態様は、Dが継続的な行為によりノウハウを取得し、そのノウハウを用いてDが商品を生産し、販売し、Bの市場を奪ったというものである。ノウハウ侵害は、抽象的にはこれらの態様の一つ一つから成り立っているものといえるが、他方で、Dがノウハウを取得した行為それ自体がノウハウ侵害であるともいえる。そこで本件では、本件不法行為の加害行為をノウハウの取得行為、損害をノウハウを取得されたことそれ自体及びノウハウを用いて将来得られたはずの利益を得られなくなったことを含むノウハウ侵害であると捉えることとする。なぜならDがノウハウを取得した時点で、その後に当該ノウハウを利用して何らかの製品が生産、販売されることは当然に想定されていたものといえ、むしろ、製品の生産、販売が目的でノウハウが取得されたともいえるので、ノウハウの取得行為自体を、一連の損害をもたらす原因となった不法行為として捉えるべきだからである。
(3) ノウハウ侵害について問題となった判例[15]も、営業秘密の不正取得行為のように、不法行為が複数の国にまたがる一連の侵害行為からなる類型の場合は、その行為を分断することなく、一連の行為の重要な部分がなされた地を原因事実の発生地としたものとみられる[16]。また、仮にノウハウ取得行為、商品の生産、販売行為をそれぞれ別個の不法行為であるとみると、通則法17条の適用により結果発生地が複数ありうることとなり、訴える者訴えられる者両者にとって不都合であることからも、ノウハウ取得行為を一連の行為の重要な部分として不法行為と捉えることは妥当であるといえる。以上より、本件ではノウハウの取得行為によって直接の法益侵害(ノウハウ侵害)の結果が発生し、ノウハウに基づいて食品が生産されたこと、販売されたこと、市場が奪われたことは後続的な損害であるとして捉えることとする。
3 上記で述べたとおり、本件における不法行為について、ノウハウの取得行為によって直接の法益侵害(ノウハウ侵害)の結果が発生し、ノウハウに基づいて食品が生産されたこと、販売されたこと、市場が奪われたことは後続的な損害であるとして捉えると、設問(3)にいう(ア)(イ)(ウ)はいずれもノウハウ侵害という不法行為の後続損害の問題として、当該ノウハウ取得行為に基づく不法行為の準拠法に基づいて考えられることとなる。そこで、以下ではノウハウ取得行為に基づく不法行為の準拠法がいずれの地の法であるかを検討する。
(1) 通則法17条の適用について
本件ノウハウ取得行為に基づく不法行為の結果発生地はどこか。結果発生地は、ノウハウ侵害があった時点において直接にノウハウという法益が所在していた地である。ノウハウは、特許権のように属地的な性質[17]のものではなく、より私的に企業が有する利益であると考えられる。そこで、法益としてのノウハウが所在していた地は、ノウハウを有する企業の本拠地等を中心に、諸般の事情から具体的に考えるべきである[18]。これを本件についてみると、物質αに関するノウハウは日本法人たるB社の日本研究所チームが有するものであり、さらにDがAから物質αに関する情報を取得したのも日本であると考えられる。そこで、ノウハウ取得という行為が行われた時点において秘匿されるべきノウハウという法益が存在していたのは日本であるといえる。このことから、本件不法行為における結果発生地は、日本であると捉えられる。
(2) 通則法17条但書の適用について
ノウハウの取得行為はその行為自体でノウハウの侵害に直結するような性質のものであるので、本件においては隔地的不法行為の準拠法を定めることが想定されている通則法17条但書の適用はない。もちろんノウハウ取得行為自体は損害ではなく、ノウハウを用いて商品の生産や販売をした場合に初めて損害が発生すると考えると、隔地的不法行為の問題となりうる。しかし、前述のように本件ではノウハウ取得行為自体を本件不法行為にいう損害であると捉え、生産・販売等はノウハウ取得という損害に加えてさらに発生し得る損害であると考える。よって、やはり本件では隔地的不法行為の問題とはならない。
(3) 通則法20条の適用について
本件では、通則法20条にいう例示的な事情は認められない。そこで、「その他の事情」により、明らかに日本よりも密接な関係がある他の地があるといえるかを検討する。
たしかに本件ではノウハウ侵害に基づく生産、販売、そしてその結果として市場が奪われたことは日本、甲国、乙国それぞれにおいて発生している。しかし、あくまでもノウハウ取得行為それ自体については、ノウハウ自体が日本法人Bの下にあったことや日本研究所で発見されたこと、Dが日本法人Bに所属するAから情報を取得していたという事情に鑑みると、ノウハウ取得についての最密接関係地は日本であるといえる。よって本件は明らかに日本よりも「密接な関係がある他の地」がある場合にはあたらない。
以上より本件で通則法20条の適用はない。
4.結論
以上より、本件では(ア)(イ)(ウ)いずれの請求についても、日本法が適用される。
設問4 相殺
1. 相殺の準拠法については、@自働債権の準拠法と受働債権の準拠法の累積的適用を主張する見解や、Aもっぱら受働債権の準拠法によるべきであるとする受働債権準拠法説、B自働債権の要件については自働債権の準拠法により、受働債権の要件については受働債権の準拠法によるとする配分的適用説等が主張されている[19]。これについて、受働債権の債権者、すなわち、相殺の意思表示を受けた相手方は、自らの意思によることなく債権を失うのであるから、受働債権の準拠法上の保護規定の与える利益を享受できるようにしなければならないこと、自働債権と受働債権の累積的適用説に立つと、相殺の成立が困難となること、とくに、相殺は簡易かつ実効的な清算方法のはずであり、両準拠法の累積的適用は望ましくないことなどを考え合わせると、受働債権準拠法説が妥当である[20]。
そこで、本件相殺の準拠法についても受働債権の準拠法によって考える。本件相殺の受働債権は、AがBに対して有する雇用契約に基づく賃金債権である。そこで、かかる雇用契約に基づく賃金債権の準拠法が何であるかを検討していく。
2. 雇用契約に基づく賃金債権は、労働契約により発生する債権についての問題であるから、労働契約の効力の問題であると捉えられる。そこで、通則法12条の適用が問題となる。
(1) 当事者による準拠法選択があるか
通則法12条1項では当事者自治が定められている。そこで、本件で当事者による準拠法選択があるかをみるに、本件では雇用契約の(a)ないし(d)条項のいずれにも準拠法についての定めがない。さらに、甲国人Aが日本法人Bと英文で契約を締結し、紛争の管轄は東京地裁にあるなど、当事者の黙示的な準拠法合意が認められる事情も認められない。
(2) 当事者による準拠法選択がない場合
そこで本件では、当事者による準拠法選択がない場合として、通則法8条1項によって最密接関係地法が準拠法とされる。労働契約に関する通則法12条3項によれば、労働契約における最密接関係地法は、当該労働契約において労務を提供すべき地の法である。そこで、本件労働契約において労務を提供すべき地がいずれの地であるかが問題となる。
これを本件についてみるに、本件労働契約上Aは、Bが有する日本研究所及び乙国研究所を行き来しつつ研究に従事すべきことが定められており(雇用契約(a)条項)、その頻度は実質的には年間5回程度、滞在期間日本:乙国=3:2で行き来するというものであった。Aが日本と乙国とで労務を提供する割合は著しく異なる訳ではないが、航空会社の乗務員など労務提供地が複数の法域にまたがっており、かつそのいずれについても主たる労務提供地であるとはいい難い場合とは異なり、Aの場合は年間5回程度の行き来という事情から、各滞在においてある程度まとまりをもって各地に滞在していると思われる。そこで、本件ではAの労務提供地は、より滞在期間の多い日本であると考える。
3.結論
以上より、本件受働債権を発生させる労働契約においては、労務提供地である日本が最密接関係地であるため日本法が準拠法といえる。よって、本件相殺の準拠法は日本法である。 以上
[1] 最一小判平成14年9月26日民集56巻7号1551頁、判時1802号19頁、判タ1107号80頁
[2] 前掲注2)櫻田=道垣内454−455頁によれば、@Aは特許法100条1項・2項を、Bは民法709条を根拠規定としている。さらに日本の不法行為法は損害填補を旨とし、名誉棄損等を除いては差止請求を認めていないことも根拠としている。
[3] 前掲注2)櫻田=道垣内454−455頁
[4] 松岡博『国際関係私法入門〔第3版〕』(有斐閣、2012)99頁
[5] 前掲注2)櫻田=道垣内207頁
[6] 前掲注2)横山50−51頁
[7] 前掲注2)櫻田=道垣内444頁
[8] 前掲注2)横山202頁
[9] 前掲注2)櫻田=道垣内504頁
[10] 前掲注2)横山 210頁、神前禎=早川吉尚=元永和彦『国際私法〔第2版〕』(有斐閣、2006年)161頁
[11] 前掲注2)櫻田=道垣内450頁
[12] ノウハウ侵害について、東京地判平成3年9月24日判時1429号80頁
[13] 前掲注2)櫻田=道垣内450
[14] 前掲注2)櫻田=道垣内445頁
[15] 東京地判平成3年9月24日判時1429号80頁
[16] 野村美明批判私法判例リマークス(1993年)159頁
[17] 最一小判平成14年9月26日民集56巻7号1551頁、
[18] 東京地判平成3年9月24日判時1429号80頁
[19] 前掲注2)櫻田=道垣内575頁
[20] 須網隆夫・道垣内正人『国際ビジネスと法』(日本評論社)139〜141頁